しばられない生活をしよう

しばられない生き方をしよう!

自分の「建物」を持とう!土地に縛られることなく。
いま、土地を持っていなければ、だれも建物を作ろうとは思いません。土地と建物が一体と思いこんできたからです。でももし、建物が土地から切り離されたら、もっと自由で楽しい暮らしができるかもしれません。いま、サトコウのBOXユニットが、その自由な発想を可能にします。自分の「建物」を考えること。それはこの上なく楽しい事なのです。

土地の縛りつけられた建築、土地の「所有権」や「価値」ばかりが強調される不自由な世界

建築はいつも土地と一体に語られます。確かにほとんどの建築は土地の上に根っこをはりながら立っています。しかし、このように言う時の「土地」という言葉にちょっとこだわってみましょう。
その昔、土地はだれの所有物でもない、という時代がありました。戦国時代や江戸時代でも、今の「所有意識」とはずいぶん違った土地に対する感覚だったと思います。
たとえばニッポンでは、明治維新のあと、近代国家の成立とともに、すべての土地は誰かの所有になりました。もっと言えば「国家」の所有になりました。地主は自分の土地を、あたかも自分の所有物だと思って得々としていますが、その一方で、きっちり固定資産税を徴収されます。これは国家に払う「家賃」です。つまり土地は所有ではなく、国家から賃貸しているのと同じことなのです。昔からそうだったのかもしれないけれど、近代国家はそのシステムやルールが、とても巧妙に作り上げられたということなのかもしれません。
近代国家以降の建物は、だからそれまで以上に、所有される土地と一体に考えられるようになってしまいました。

伊勢神宮の「式年遷宮」は新鮮な驚きを与えてくれる。
土地と建物が一体であるという固定観念。それは案外最近(ここ100年くらい)で作り上げられたもので、もしかすると人間の「こころの在り様」とは別のことなのかもしれません。
たとえば、伊勢神宮に行くと、その本殿は20年ごとに隣の土地に移されます。それを「式年遷宮」と呼んでいます。神の住まいである本殿は、必ずしも土地と一体ではないのです。ニッポン人の「こころ」の原点には、建物は移動するという感覚があるのかもしれません。
自分の身を包んでくれる、「皮膚」としての建物。
だれにとっても、自分らしい「棲家」を考えることは何より大切なことなのです。
いうまでもなく、動物にとって、環境に適応した「巣作り」は、最重要課題です。それは人間という動物にとっても同じことです。人生を考える上でも、身の回りの環境を感じ取る上でも必須のことだと思います。
しかし、近代以降の土地所有と一体になった税金徴収システムのもとでは、土地を持たない者は、「巣作り」を考えることができない!ということになっています。考えてみると不自由なことです。

土地から解き放たれた「建物」があれば、自分の「皮膚」自分の「巣」を考えることができる。
土地を持っていない者は、建物を考える資格がない!ということになっている世の中。この不自由を突破したい。
もし、土地と関係なく、自分の住まい/箱を考えることができたら、人生はもっと豊かになります。
サトコウのBOXユニットは、移動が自由な新世代の家です。土地に縛り付けられることのない、移動可能な箱。この可能性が、今ますます広がっているのです。

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